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家庭教師の情報を必要とする皆様へ

あげる相手が思い浮かんだらあげようと思っていたのでは、またそこへ残っていくのです。
「よくわからないけれども、とりあえずもらっておこう」ではダメです。 「今は使わないから誰かにあげようかな、でもまだあげる相手が見つからないから、そのうちあげる相手が見つかったらあげよう」と思ってはいけません。
「あげる」というのは、整理術としては大事なことです。 自分のモノがなくなるわけですから、これは一種の生産的に捨てる行為です。
スペースを生み出す行為です。 しかし、「あげる」ということは大事なことなのですが、そのあげ方が、実は難しいのです。

「これは誰々にあげればいい」と、そのモノをあげる相手が思い浮かばないといけないのです。 人脈が広がるような人脈術を持っている人は、「あ、あの人にあげよう」とすぐに思い浮かびます。
「これはあの人にあげると喜ぶ、あの人は使いそうだ」というのは、一種のプレゼントです。 「これをあげたらあの人は使うかもしれない、喜ぶかもしれない、あげてみよう」と思った時に、まずその人にとってそれが必要かどうか、その人の好みに合うか合わないか、という問題があります。
相手が嫌いなモノをあげても仕方がないので、その感性を持っていないとモノはあげられません。 使わないモノは、もらわない。
あげる人を選んでいるうちに、一生のゴミになる。 モノをあげる簡単な方法は、「一番早く会った人にあげること」です。
あの人にいつ会うかわからないけれども、会った時にあげようなんて思っていたら、また残ってしまうのです。 モノは、常に「残ろう、残ろう」とします。
あげようと思う人が浮かんだとしても、その人とは年に1回しか会わないという時は、その人に送ってあげればいいのです。 ところが、「取りに来て」と言われると、相手は困ってしまいます。

相手はもらうのだから、「送ってください」とも言いにくい。 「着払いで送ってください」とこまかいことを言わなければなりません。
取りに行くのも、忙しいからなかなかすぐは行かれない。 そうなると、結局ヘンなシコリが残ってしまいます。
あげる相手が見つかったら、今度会った時にあげようではなくて、すぐ送ってしまうのです。 たとえば、今日持って帰れない、結構荷物になるような大きいモノだったとします。
でも、この後はまだ仕事があってどこかへ行かなければいけない時、「ありがとうございます。 今度持って帰ります」では困るのです。
結局、あげる側の人も欲しい人が取りに来るまで、捨てられないことになるのです。

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